コンサート情報
2013.9.22
〜日比谷野音90周年記念事業〜
10円コンサート
1969-Rock'n Hibiya REVIVAL
伝説のコンサートとして今でも語り継がれている1969年9月22日に行われた「ニューロック・ジャム・コンサート」(通称:10円コンサート)を日比谷野音が“90年の歴史の中で日本のロックを育んできたこと”への感謝を込めて、当時出演したアーティストを中心に当時と同じ10円にて開催いたします。
■1969年9月22日、日比谷公園に反響(こだま)したニッポンROCKの産声!
中村俊夫(音楽評論家)
☆『10円コンサート』
日本中を熱狂させたグループ・サウンズ(GS)ブームも終息を迎えた1969年、海の向こうで巻き起こっていたレッド・ツェッペリンに代表されるロックの新しい潮流に反応するかのように、我が国にも“ニューロック”と呼ばれる新たなバンド群が台頭してきた。ブルース・クリエイション、パワー・ハウス、エイプリル・フール、ザ・エム…etc。GSブーム期に活躍したグループの中からも、ゴールデン・カップス、モップス、フラワーズ、ハプニングス・フォーなど、所謂“実力派GS”として評価の高かったグループが、こうした動きの代表格として注目を浴びるようになっていく。
これらニューロック勢の共通認識とも言えるのが、芸能プロダクションやレコード会社主体にあまりにも商業主義へと突き進んでいったGSの総括であり、芸能界的なものへの嫌悪であった。それ故に純粋に音楽を追求する高い理想を掲げながらも、まだロックが市民権を得ていない日本の状況の中では一般的認知を得ることはできなかったが、70年安保前夜、ベトナム戦争泥沼化による世界的な反戦運動・学生運動の盛り上がり等による当時のラジカルな空気漂う社会背景も相俟って、ニューロックはアングラ演劇などと共に、アンチ芸能界的なカウンター・カルチャーとして認識されていくのである。
☆前代未聞のロック・イベント
そんな中、69年8月15日から3日間にわたり米国ニューヨーク州で開催された歴史的野外ロックフェス『ウッドストック・フェスティバル』を体験し帰国した元フィンガーズの成毛滋は、英米とは天地ほどの差がある日本の惨憺たるロック状況に憤慨し、ジャンルを超え、グループや所属会社の枠を超えたミュージシャン同志の交流による技術向上、一般市民へのロック啓蒙を目的とした総決起集会的イベントを発案。ミュージシャン仲間で当時ゴールデン・カップスのキーボード奏者だったミッキー吉野と共に実現に向けて動き出す。ここで注目したいのは、当時バンドのライヴの場としてはディスコ、ジャズ喫茶、全国の公会堂などがあったが、それらのブッキングにはすべてプロダクションや興行会社などが介在して成り立つものであり、歌手やミュージシャン個人が自らの手で自主興行を行なった前例は皆無だったことである。
さらにロック史に残る名盤『スーパー・セッション』(67年)以来、海外ではレコード会社の枠を超えたアーティスト同志のライヴやレコーディングが盛んに行なわれていたが、日本はまだまだ閉鎖的で事務所・レコード会社の異なるミュージシャン同志の共演など御法度な時代だった。そんな四面楚歌の中、成毛たちは前代未聞のイベントを企画・実行したのである。実際出演依頼するにも各々の所属会社からの妨害等もあったらしい。日比谷野音を会場に選んだのも、介在する興行会社も無く、貸出料金もホールに比べて安いという利点からのようだ。もちろん成毛がウッドストックのような野外でのロック・コンサートに重点を置いていたことも、その理由のひとつであることは言うまでない。そして、日比谷野音でのロック・コンサート自体が前代未聞だったのである。
☆ニッポンROCKの聖地『野音』誕生!
1969年9月22日午後6時、小雨パラつく中、日比谷野音で『ニューロック・ジャム・コンサート』が 開催される。出演は発起人の成毛滋、ミッキー吉野の他、小林勝彦(フラワーズ)、陳信輝(パワー・ハウス)、デイヴ平尾(ゴールデン・カップス)、The M、田畑貞一といった面々。入場料は10円。ワンコイン・ライヴの元祖である。JR(当時の名称は国鉄)の最低運賃が30円だった時代にしても激安の入場料が話題を呼び、以後このライヴは「10円コンサ-ト」の名称で広く知られていく。ちなみに当日の観客数は約1,200人。単純計算で12,000円ほどの収入というわけだが、当然大赤字である。しかし、それはニッポンROCKが新たな産声」を上げるための必要不可欠な“出産費用”だったと言えるだろう。
翌10月30日には、同じく日比谷野音で内田裕也主催による第2回『10円コンサート』が開催された。出演者はフラワーズ、ハプニングス・フォー、パワー・ハウス、柳田ヒロ、The Mなどの他、タイガースの森本太郎、岸部修三(現・一徳)、元カーナビーツのアイ高野が飛び入り参加している。観客数は約 5, 000人。まだ日本では珍しいロックのコンサートという希少性、そして破格の激安入場料という話題性が功を奏したのかも知れない。以後、日比谷野音では大小様々なロック・イベントが開催されるようになり、70年代以降はロック・アーティストにとって、野音のステージに立つことはひとつのステイタスとなっていく。『野音』がニッポンROCKの聖地となったのである。
☆2013年9月22日『10円コンサート』復活!
日比谷公園にニッポンROCKの産声が反響(こだま) してから44年の歳月が流れる2013年9月22日、日比谷野音誕生90周年を記念して伝説の『10円コンサート』が甦る。残念ながら、44年前の第1回主催者・成毛滋は故人となってしまったが、当時の発起人のひとりであるミッキー吉野がプロデュース。Char、サンボマスターなど平成ロック・シーンの最前線で活躍中のアーティストたちと共に、44年前の当事者である内田裕也、The M、ゴールデン・カップスの名前が出演予定者に挙がっているのが興味深い。そんな新旧ニッポンROCKアーティストたちが44年の歳月を経た日比谷公園にどんな音を反響(こだま) させてくれるのか?今から楽しみだ。こんな歴史的ロック・イベントをJR最低運賃が130円となった現在でも、たったの10円で観れるなんて…これは間違いなくひとつの事件である!
《出演》 | 内田裕也&トルーマン・カポーティーR&R Band/ カイキゲッショク/外道/The M/Golden cups/ サルサガムテープ/サンボマスター/Char/ HICCUP PANTHER/mil9 他(五十音順) ミッキー吉野(プロデュース) 近田春夫(ナビゲーター) |
【日時】 | 2013年9月22日(日) 開場 15:00/開演 16:00 |
【会場】 | 日比谷野外大音楽堂 |
【料金】 | 10円(税込) ※雨天決行・荒天中止 ※現在お申込みは終了しております。 |
【お問合せ】 | キョードー東京 Tel.0570-550-799 キャピタルヴィレッジ Tel.03-3478-9999 |
■1969年9月22日、日比谷公園に反響(こだま)したニッポンROCKの産声!
中村俊夫(音楽評論家)
☆『10円コンサート』
日本中を熱狂させたグループ・サウンズ(GS)ブームも終息を迎えた1969年、海の向こうで巻き起こっていたレッド・ツェッペリンに代表されるロックの新しい潮流に反応するかのように、我が国にも“ニューロック”と呼ばれる新たなバンド群が台頭してきた。ブルース・クリエイション、パワー・ハウス、エイプリル・フール、ザ・エム…etc。GSブーム期に活躍したグループの中からも、ゴールデン・カップス、モップス、フラワーズ、ハプニングス・フォーなど、所謂“実力派GS”として評価の高かったグループが、こうした動きの代表格として注目を浴びるようになっていく。
これらニューロック勢の共通認識とも言えるのが、芸能プロダクションやレコード会社主体にあまりにも商業主義へと突き進んでいったGSの総括であり、芸能界的なものへの嫌悪であった。それ故に純粋に音楽を追求する高い理想を掲げながらも、まだロックが市民権を得ていない日本の状況の中では一般的認知を得ることはできなかったが、70年安保前夜、ベトナム戦争泥沼化による世界的な反戦運動・学生運動の盛り上がり等による当時のラジカルな空気漂う社会背景も相俟って、ニューロックはアングラ演劇などと共に、アンチ芸能界的なカウンター・カルチャーとして認識されていくのである。
☆前代未聞のロック・イベント
そんな中、69年8月15日から3日間にわたり米国ニューヨーク州で開催された歴史的野外ロックフェス『ウッドストック・フェスティバル』を体験し帰国した元フィンガーズの成毛滋は、英米とは天地ほどの差がある日本の惨憺たるロック状況に憤慨し、ジャンルを超え、グループや所属会社の枠を超えたミュージシャン同志の交流による技術向上、一般市民へのロック啓蒙を目的とした総決起集会的イベントを発案。ミュージシャン仲間で当時ゴールデン・カップスのキーボード奏者だったミッキー吉野と共に実現に向けて動き出す。ここで注目したいのは、当時バンドのライヴの場としてはディスコ、ジャズ喫茶、全国の公会堂などがあったが、それらのブッキングにはすべてプロダクションや興行会社などが介在して成り立つものであり、歌手やミュージシャン個人が自らの手で自主興行を行なった前例は皆無だったことである。
さらにロック史に残る名盤『スーパー・セッション』(67年)以来、海外ではレコード会社の枠を超えたアーティスト同志のライヴやレコーディングが盛んに行なわれていたが、日本はまだまだ閉鎖的で事務所・レコード会社の異なるミュージシャン同志の共演など御法度な時代だった。そんな四面楚歌の中、成毛たちは前代未聞のイベントを企画・実行したのである。実際出演依頼するにも各々の所属会社からの妨害等もあったらしい。日比谷野音を会場に選んだのも、介在する興行会社も無く、貸出料金もホールに比べて安いという利点からのようだ。もちろん成毛がウッドストックのような野外でのロック・コンサートに重点を置いていたことも、その理由のひとつであることは言うまでない。そして、日比谷野音でのロック・コンサート自体が前代未聞だったのである。
☆ニッポンROCKの聖地『野音』誕生!
1969年9月22日午後6時、小雨パラつく中、日比谷野音で『ニューロック・ジャム・コンサート』が 開催される。出演は発起人の成毛滋、ミッキー吉野の他、小林勝彦(フラワーズ)、陳信輝(パワー・ハウス)、デイヴ平尾(ゴールデン・カップス)、The M、田畑貞一といった面々。入場料は10円。ワンコイン・ライヴの元祖である。JR(当時の名称は国鉄)の最低運賃が30円だった時代にしても激安の入場料が話題を呼び、以後このライヴは「10円コンサ-ト」の名称で広く知られていく。ちなみに当日の観客数は約1,200人。単純計算で12,000円ほどの収入というわけだが、当然大赤字である。しかし、それはニッポンROCKが新たな産声」を上げるための必要不可欠な“出産費用”だったと言えるだろう。
翌10月30日には、同じく日比谷野音で内田裕也主催による第2回『10円コンサート』が開催された。出演者はフラワーズ、ハプニングス・フォー、パワー・ハウス、柳田ヒロ、The Mなどの他、タイガースの森本太郎、岸部修三(現・一徳)、元カーナビーツのアイ高野が飛び入り参加している。観客数は約 5, 000人。まだ日本では珍しいロックのコンサートという希少性、そして破格の激安入場料という話題性が功を奏したのかも知れない。以後、日比谷野音では大小様々なロック・イベントが開催されるようになり、70年代以降はロック・アーティストにとって、野音のステージに立つことはひとつのステイタスとなっていく。『野音』がニッポンROCKの聖地となったのである。
☆2013年9月22日『10円コンサート』復活!
日比谷公園にニッポンROCKの産声が反響(こだま) してから44年の歳月が流れる2013年9月22日、日比谷野音誕生90周年を記念して伝説の『10円コンサート』が甦る。残念ながら、44年前の第1回主催者・成毛滋は故人となってしまったが、当時の発起人のひとりであるミッキー吉野がプロデュース。Char、サンボマスターなど平成ロック・シーンの最前線で活躍中のアーティストたちと共に、44年前の当事者である内田裕也、The M、ゴールデン・カップスの名前が出演予定者に挙がっているのが興味深い。そんな新旧ニッポンROCKアーティストたちが44年の歳月を経た日比谷公園にどんな音を反響(こだま) させてくれるのか?今から楽しみだ。こんな歴史的ロック・イベントをJR最低運賃が130円となった現在でも、たったの10円で観れるなんて…これは間違いなくひとつの事件である!